壮大な黒松林とともに歩んだフェニックスカントリークラブの歩み

日本が誇る名門フェニックスカントリークラブに欠かせないのが黒松林。
世界のトッププロが幾度となく挑戦してきたコースは、今もなお進化しつづけている。

グリーンランドからの始まり(1969年~)

戦後、経済の発展とともに、ゴルフ場の数は徐々に増加していく中、1957年に日本初のテレビの実況放送により、ゴルフ”というスポーツが広く民衆に知れ渡りました。
1970年代に入り、高度成長期を向かえ、ここ宮崎においても、大規模な複合リゾート建設がはじまりました。その一つがフェニックスグリーンランド(フェニックス総合レジャーセンター)です。

黒松の森宣言

一ツ葉海岸にある黒松のも森は200年前住民の暮らしを守るために植栽されました。南北11km、幅1kmに広がる100万本以上の松は、強風や潮害を防ぐだけではなく私たちに安らぎと癒しをもたらしています。私たちは、この黒松の森を、宮崎県の、そして日本のかけがえのない財産として守り、はぐくみ、次の世代に引き継ぎます。フェニックス・シーガイア・リゾートは、これからも黒松の森と共生するリゾートであり続けることをここに宣言します。

フェニックス・シーガイア・リゾート スタッフ一同

ダンロップフェニックストーナメントとの歩み(1974年~)

ゴルフブームの到来で国内のプロゴルフトーナメントが50試合を超えた1974年に、第1回ダンロップフェニックストーナメントが開催されました。


日本のゴルフ界のさらなるレベルアップのためには国際化が必要不可欠と、ゴルフ界の誰もが想いをよせていました。そんな多くの関係者の理解と努力により、ダンロップフェニックストーナメントが誕生したのです。


この想いは、帝王ジャック・ニクラウスにも届き、ジョンモンゴメリー氏とともに、本物のインターナショナルなトーナメント作りを開始しました。 今でも継続され、毎年世界のトップが集う世界的なトーナメントに発展しています。



“国内の試合でありながら海外の試合"と言われるほどレベルが高い、ダンロップフェニックストーナメント。
日本人で最初にこの壁を破ったのが1985年の中嶋常幸。1994年から1996年にかけては尾崎将司が3連覇を達成、2000年には片山晋呉がこのタイトルを獲得した勢いをかって奇跡の逆転賞金王に輝きました。
そして2002年にはタイガー・ウッズを押さえて横尾要が優勝、2005年大会では負けはしたもののタイガーとプレーオフを争うなど、ゴルフ史に刻まれるプレーを見せています。

さらなる進化とゴルフの未来

黒松林の保護はもちろん、芝やバンカーも改良を重ね、フェニックスカントリークラブは、今でも進化しています。バンカーはフィリピンの大理石を砕いたバンカー砂。グリーンはベントグラス、フェアウェイやラフは、夏期はティフトン、冬期はペレニアルライグラスを使用、国内では稀少な洋芝の感触を大いにお楽しみ頂けます。


フェニックス・シーガイア・リゾートは、2014年4月に、文部科学省より「ナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設(ゴルフ)」の指定を受けました。
これはリゾート全体として指定されたもので、フェニックスカントリークラブやアカデミーなど国内屈指のゴルフ環境だけでなく、トレーニング環境や宿泊施設の充実、そして宮崎自体の環境も高く評価いただけたという証です。


【文部科学省のプレスリリース】